どんな作品でも、パート2になるとそのゲームの味わいはどこか変わるものです。かつてのカプコンの対戦格闘シリーズがそうだったように、この「ギルティギア イグゼクス」でも、前作との違いがいろいろと話題になり始めました。今回はそのことについて検証していきたいと思います。
「ゼクス」と「イグゼクス」、ここに来て焦点となった対戦観の違いとは?
今回の「イグゼクス」では、「リスクのある技をぶっ放す」ことがある程度強いとされています(もちろん物には限度というものがあります)。この「ぶっ放しが強い」という部分は「ゼクス」とかなり違うところでしょう。
思えば、「ゼクス」は一瞬の判断ミスが命取りになるゲームでした。ジョニーの霧ハメや、ミリアのダウンさせてからの起き攻めは非常に回避が難しく、一度くらったらほとんど脱出不可能なほど。そのやるかやられるかという緊張感が、「ゼクス」を他のゲームと違う、特別なものにしていたのです。
それに比較すると今回の「イグゼクス」は、起き攻めに関してはややマイルドな調整になっています。また大きいのは、サイクバーストの存在です。これがあるおかげで、はまった状態から脱出できる可能性が高くなっています。サイクバーストを生で当ててテンションゲージが増えるという点も、デッドアングルアタックでの回避できる回数を増やしています。前作よりも大胆な攻めが可能になったのは、これらの理由が大きいのではないでしょうか。「ゼクス」では使えなかった、隙のある必殺技のダメージ効率が増えたのも、それに拍車をかけていると思います。
それが結果的に、ある程度リスクのある技を「ぶっ放す」ことの有利性を高めました。前作でならしたプレーヤーも、相手のツボにはまれコロッと負けてしまうことがあるようです。勝てるはずだったプレーヤーにとっては、納得のいかない負け方で大会を去ることになるのは受け入れがたい現実でしょう。それで「イグゼクス」から離れていってしまうプレーヤーもいるかもしれません。
ぶっぱなしに見る、対戦の理論と実戦、美学とリアリズムの関係
「ゼクス」と「イグゼクス」のどちらが面白いのかは、プレーヤーの好みによってわかれるところでしょう。「ゼクス」は独特の緊張感が楽しいゲームでしたが、ある意味「ハメ合い」の戦いだったことは否めません。それに比べると「イグゼクス」は、お互いのターンが行き来するので、どちらかというと普通の格闘ゲームに近づいたといえます。そのぶん、少しだけ「ぶっぱなし」が有効になったのは確かです。
しかし、「ぶっぱなし」ができるから本当にうまいプレーヤーが勝ち抜けないかというと、そんなことはないと私は考えます。大昔の話ですが、対戦格闘の黎明期の「餓狼伝説2(SNK)」では、超必殺技の威力が非常に強力でした。ガードされれば反撃確定の超必殺技も多かったのですが、当たれば体力ゲージを半分以上持っていかれるので脅威です。
しかし私たちが仲間うちで研究している間は、ほとんどこれらの超必殺技は活躍することはありませんでした。少ない仲間でやっていると、手の内が読めてしまうのが大きいのです。超必殺技は「リスクが高すぎる」と判断され、その使い方を研究することはさほどありませんでした。
ところが、大阪に対戦しに行ったとき苦しめられたのが、この超必殺技でした。大阪で出会ったプレーヤーは、絶妙のタイミングで一発逆転のバクチ技をかましてきます。対戦の盛んなゲームセンターの実戦で鍛えられた戦法は、浅薄な理論以上に実用的だったのです。
「いかにぶっぱなすか」というのも技術のうち。ではぶっぱなしのうまいプレーヤーが単純に対戦を捉えているかというとそうではありません。ぶっぱなしのリスクリターンが、対戦の流れの中に高度な形で組み込まれているだけなのです。その後の大会を見ても、結局勝ち残ったプレーヤーは誰と戦っても安定した勝率を残しています。
現在の対戦状況は、「ゼクス」をやりこんだプレーヤーに「イグゼクス」流のプレーヤーが追いついたといったところではないでしょうか。結局「ゼクス」のときの戦い方にこだわっているだけでは、最高峰の戦いでは勝ち抜くことはできないのです。これからの大会では、そんなちょっとだけ新しい対戦理論を会得したプレーヤーも勝ち残ってくることでしょう。
これからの見どころは、前作の有名プレーヤーと新興勢力との戦いです。まだ無名の「イグゼクス」流のプレーヤーは、初心者に紛れてかなりの数が潜伏しているのではないかと思います。誰が一番「イグゼクス」を深く研究しているのか。大会向きの戦法とはいかなるものなのか? やはり対戦はガチンコだからこそおもしろいと、私は思うのです。
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